- 2011年度 没入生活班(前年度ARG班)の研究意義
● ARGは終わった?
ここ数年、日本においても何かと持て囃されてきたARGだが、「ARGであること」という枠を超えてまで成功を収めた事例は生まれなかった。
現状ARGはプロモーション、マーケティング手法として主に制作されているが、企画・運営の難しさやそのコスト、それに対しての効果の不確かさなどが主な要因だ。マーケティングとして以外の自主制作的なARGに関してもマネタイズの方法が確立されておらず、継続的な制作は厳しい状況である。
また、一部のファン層しかプレイしていないという環境ができやすく、より多くの人にリーチするARGがなかなか生まれてこないため、ARGをやろうとする企業、個人も増加しない。
そもそも「役を演じる」という行為の伴うARG自体、日本人の体質には合わないのではという話さえある。
いずれにしても、こういったさまざまな要因によって、少なくとも日本においてはARGが限界を迎えていることは否めない。
しかしながら、ARGには見逃すことのできない長所があり、ARGとして生き残る、もしくはARGが何か別の形となって活かされていく可能性は大いにあると考えた。
● ARGの可能性
では、他にはないARG独自の良さ、可能性とは何だろうか。
ひとつにはユーザー自身がストーリー、つまりコンテンツをつくりあげていくことが挙げられるだろう。能動的な接触が人とコンテンツの関係性を深くし、変え難い体験を与える。
また、フィクションが直接実世界に存在することによって生まれるドキドキ感やワクワク感は、「映画」や「小説」といった枠に入ったフィクションによってもたらされるそれとは違った魅力があるだろう。
少し見方を変えてみても興味深い特徴はいくつかある。例えば「現実の世界にフィクションを被せる」、違う言い回しをすると「フィクション設定で現実に生きる人をハックする」ことによってモノの見え方が変わるという点は、人の行動変化について新たな視点をつくりだしてくれるかもしれない。
もちろん、広告プロモーションでもありエンターテイメントでもあるという両面性や教育やアートへの応用可能性などのARGが様々なものを巻き込んでいく可能性を秘めているというところも重要な点であろう。
こうしたARGの可能性を鑑みながら、2つのヴィジョン(大きな目標)をもって研究を進めていこうと考えている。
・ヴィジョン1 -エンターテイメントとしてのARGと他分野とARGのコラボ
エンターテイメント性の高いARGでは、古典的なエンターテイメント(映画、舞台、ドラマなど)とは違った体験を人々に与える事ができる。
そんなARGをまずエンターテイメントコンテンツとして確立させる。
そうすることで、コンテンツとしての面や広告マーケティング手法としての面など多くの切り口を持ち様々な分野と親和性が高いARGを、他分野でのイノベーションの可能性をもつもの、エンターテイメントそのものを見直すものとして成り立たせる。
・ヴィジョン2 –都市レイヤーを考える手段としてのARG
ARGには参加者が虚構のストーリーを進めようと行動を起こしたり、ギミックによってものの認識が変化するといった要素がある。このような要素を持つARGを、都市空間を別の視点から見直し、新たな価値の発見・行動につなげることのできる、ひとつのレイヤーとして考える。
このレイヤーを通して人々が没入体験をし、都市生活により深くコミットし、それぞれの都市空間のアイデンティティを見つめなおし、積極的に作り上げていくことをもう一つのヴィジョンとする。
